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時制(トップ)

5. 時  制

この単元の作成メモ
学習のポイント
・時制には「基本時制」と「完了時制」の2種類があります。
・基本時制と完了時制の違いを理解することが大きなポイントの1つです。
・時制を考えるときには日本語の訳はあてになりません。それぞれの時制の用法で判断します。
  私は長年英文法を教えていますが、時々感じるのは、多くの文法の単元の中で「時制」は一番難しいのではないかなぁということです。少なくとも最高難度だとは言えると思います。かなり英語ができるような生徒でも「時制」についての理解がかなり曖昧であるということが多いのです。
  難しさの理由は、英語の時制の考え方と日本語の時制(日本語に「時制」というものがあるのかどうかを知りませんが)の考え方が非常に異なるためだと思います。ある出来事や状態がどのような時間的枠組みの中で起こるのかということについて、英語と日本語では根本的に捉え方が違うのです。少し似た例を挙げれば、英語では名詞に単数形と複数形があり、その区別は英語の母国語話者なら全ての名詞について自動的に行っているものです。しかしそれは日本語にはないルールなので、日本語話者にとっては、単複をいちいち意識せざるを得ないということになります。時制もそれと似ていて、英語の時制は日本語に比べるとすこし「うるさい」、あるいは「細かい」という感じがします。(尤も私は日本語の母国語話者なので、「うるさい」とか「細かい」とかについて本当に客観的には判断出来ていないかも知れませんが。)少なくとも印象としては、英語の時制の区別は名詞の単複と同様かなり意識していないとできない「面倒な」ものです。この根本的な捉え方の違いが初心者にはなかなかわからないのです。適切な例えであるかどうか自信がありませんがフェンシングを初めて学ぼうとする人がどうしても日本の剣道の竹刀を使ってしまう、というようなことが起こるのです。道具が竹刀である限り、いくら頑張ってみてもフェンシングにならない。さらにやっかいなことに名詞の単複はその違いを指摘されるとすぐに気づくことが多いのですが、時制の場合は「それは竹刀ですよ」と指摘されてもなかなか気づかないというようなことが見られるのです。その気づかない原因を突き詰めてみると、英語の時制表現の意味の違いを理解するのに「日本語の訳」という 道具を使ってしまうということに行き当たるのです。意外に思われるかも知れませんが英語の時制を考える時に、日本語の訳は役に立たないか、あるいは邪魔になってしまうのです。
  以上のことを具体的な例文で確認してみましょう。
  次の3つの日本語をそれぞれ英語にしてみてください。
(1) 私は大阪を訪れたことがある。
 
(2) 私は3年前に大阪を訪れたことがある。
 
(3) 私は3年前に大阪を訪れたことがあった。
  これを英語にするときに次のように考える人が多いのではないでしょうか。
 
  「え~っと、まず(1)については、『~したことがある』という日本語 だからぁ、「経験」 なので、よし現在完了形!(2)は、『~したことがある』に「3年前」がついているから、 現在完了形にして、それに3年前、つまりthree years agoをつければいいんだな、」ということでそれぞれ、
(1) I have visited Osaka.
(2) I have visited Osaka three years ago.
とし、
(3)については、
  「3年前かぁ。ちょっと古いけど、でも『~したことがあった』と言っているんだからやっぱり 経験だな。でもちょっと古い経験だから、そう、現在完了を古くして、そうそう過去完了!」ということで、
(3) I had visited Osaka three years ago.
 
いかがでしょう。
 
正解は、(1)はそのままでいいのですが、(2)、(3)については、訂正が必要です。
(2)はI visited Osaka three years ago.であり、
(3)もI visited Osaka three years ago.なのです。
(1) I have visited Osaka.
 
(2) I visited Osaka three years ago.
 
(3) I visited Osaka three years ago.
  もし、自信を持って三つとも正解を導くことができた人は、時制についてのツボはマスターされて いると思います。 
  間違えた皆さん、気になさらないでください。全く不安になる必要はありません。間違う方が 初心者としては普通なのです。なぜならここが時制のツボで、最も大切な、よって最も難しい ところだからです。
   日本人が正しく英語の時制を使い分けるために必要な意識は、まず、「日本語の訳で考えている うちは区別できない」ということなのです。
  ではどうすればいいのか。
   それは、英語のそれぞれの時制について、時間の枠組みがどうなっているかを論理的に (というほどカッコイイものではありませんが)少なくとも「理屈として」理解するという ことが必要なのです。
  これから時制の捉え方を解説していきますが、ぜひそれぞれの時制について、 「日本語の訳」ではなく、それぞれの時制の用法を「理屈として」捉えるように してください。